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ドイツ語とわたし(3)

ドイツ語とわたし その3です。

2006年6月~
「目的と手段」

WM2006でサッカーの魅力にとりつかれ、その流れのままブンデスを見るようになりました。そして緑白チームの、危うい・ぎりぎり・ハラハラっぷりから目が離せなくなって、今に至ります。
この、何かにはまってその情報を入手したいという気持ちがこの数年間で一番貴重なものだったように思います。

2006年までの私のドイツ語学習に何が足りなかったって、きっとこれだったんです。
ただただ、テキストに沿って学んでいるだけではいつか限界が来るんです私の場合。

そこが、「ドイツ語を学ぶ」のが目的ではなく、「ドイツ語を通して」情報を得るのが目的になったとき、急に視界が開けた気がしました。
ドイツ語はあくまで世界中のなかのひとつの言語で、それを学び取るのが目的でなく、手段のひとつ。
それを用いて何ができるのか、何をしたいのかということが感覚的にわかったときに、ああ、こういうことなんだ、と急に息をするのも楽になれたよう。

初めのころは、ニュースのなかの一文の意味を読み取ることすら困難でした。
一文に30分かけ、結局あやふやな意味しか読み取れない、なんてこともざらです。正直、今2006年時の自分のなんちゃって訳を読む勇気はちょっとまだ湧いてこないです、だって絶対間違ってるもの~!
ただ、この頃よりも以前から普及していた機械翻訳には、頼りませんでした。なんだかそこは譲れないところだったんです。
初級者でも辞書と頭があるんだから、考えて考えて、読み取れるようになったら良い、という変なプライドですね。きっと手段としてなら、機械翻訳に頼ってさらにリライトした方が時間の短縮にもなるし、効率的だったと今から思い返すと反省しきりなんですが。。。

しかし、頭を悩ませた一文30分。あの感覚を覚えている限り、自分の今の道のりが無駄ではなかったことを肌身に感じます。
今でももちろんニュース記事の全文が辞書なしでわかる、なんてレベルには到達できてません。でも、一文30分というのはさすがに無くなりましたね。ひとつひとつの単語をいちいち辞書で引いていた自分から、わからない単語はとりあえず飛ばして、周りの文脈から判断しようとするフレキシブルな姿勢は身につきました。

人はそれをおおざっぱと呼んでいたりしますが。。。

「知りたい欲求は言語の壁をも超えるらしい」

2009/08/03(月) 20:51 | 【ドイツ語】 Lernen | トラックバック(-) | コメント(-)

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