スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--/--/--(--) --:-- | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)

【5月】アウトプット!(独作文)

このブログの更新頻度が以前に比べて格段に落ちた理由は多々あるのですが、そのもっとも大きな要因は、一日が24時間しかないからです(大いなる責任転嫁)。

いえ、もっと私の要領がよければ更新しつつ学ぶ、なんてことも可能なのでしょうが……。

本腰を入れて今度こそ! という気合いの下始めた試験勉強。3月の試験を受けるつもりでしたが諸事情で流れたため、次回の7月の試験のため、と当初目の前ゴールまっしぐらの気持ちで始めたつもりが、いつの間にか試験のためだけでなく自分のドイツ語の泉も少しですが水増しされた気がします(こんこんと湧き出ているわけではなくて、ほんとにちょっとですけど)

4月は、耳から学習(インプット)を集中的に行いました。ほとんどそれしかしてない、とも言う(^_^;)
5月は、アウトプットに転じました。ドイツ語で日記を書きまくり、添削サービスを受けるようになったのです。


ドイツ語に限らず、外国語を学んでいる日本の方はまずインプットから入るのが多いと思います。もれなく私もそうでした。
文法を学んで、例文に触れて、問題集を解いて、単語を覚えて、耳から入るその言語を模倣して口に出して、それから自分でその言語での文章を書き始めて……。
受動的(インプット)な学習がその言語の習得の初期にはとても大切ですが、もちろんアウトプットも初期の初期からできればされた方が良いと思います。初期アウトプットの大事さを激しく実感している今日この頃です……。
初級文法はおそらく7割方わかる、ゆっくりとしたお話なら理解できる。ただ、それを踏まえた自分の意見が言えない、書けない。

どんなことだって練習しないと上手くいかないですよね。
小学生のころ、学校に遊具(?)としてか一輪車が数十台導入されたときには、それこそ毎日擦り傷だらけになって練習してましたもん。子供心に、一輪車に乗れたらかっこいい、と思ったんでしょうね当時の私。最初はコツもわからずこけまくっていましたが、毎日昼休みに練習かつ遊んでいたら、最終的には一輪車の達人な小学生ができあがってました。前漕ぎはもちろんのこと、後ろ漕ぎでの車庫入れもどきなどで遊んでいました。(でも今はきっともう乗れない……体重増もそうですが、バランス感覚その他もさび付いていると思われます)

話す、書く、ということを今までしたことがほとんどない私、いわば自転車の補助輪を付けて、後ろに人が支えてくれても怖くて前に進めない状態です。
ドイツ語学校に通っている、といってもグループレッスン。発言する場所は限られているし、今まで教わった先生が、「じゃあ来週までの宿題」なんて提案して作文を提出せざるを得ない状況になったこともありませんでした。もちろん、こんなの言い訳で甘えですけれどもね。本当にやる気があって目標を立てているクラスメイトさんたちは、授業後に自分の書いたテキストなどを見てもらったり、お願いしていたもんです。私はそれをしてこなかった。
だから、最初の最初は、そりゃあひどいものでした。
あれだけ詰め込んだ文法どこいった~!?
単語ちゃ~ん、隠れてないで出ておいでーーー!!

ドイツ語で日記をつける、ということは以前からしていましたが、あくまでそれは自分個人だけが読むもの。メモ的な意味合いも強く、ひとかたまりのテキストとしては意味を為していない日記も多かったです。タンゴ、いえ単語の羅列とかね。
しかし、添削が入るとなれば、話は別。
自分の書きたいことが、書けること。テーマを決めて、その日起こったことをきちんと序・破・急にまとめる。そういったことが必要になります。

書きたいことが書けるうちはいいんです。目から耳から、それこそタコができるぐらい繰り返し触れていたものに関しては、結構すらすらと、キーボードをたたく指も滑ります。(テーマ:好きなスポーツ等々(*^_^*))

問題は、書きたいことがあるのにそれが書けないとき。主にそれは自分の実力不足からくるものなのですが、こういうテキストを書きたいのに、それをドイツ語でどう言えるのか、言えないのか分からないときがすごくあります。
頭のなかではこう書きたい、という概念があるのに、それがつたない自分の構成能力でしか表現できないもどかしさ。
焦っても今の実力以上のものは書けないのだし、練習を繰り返して失敗を繰り返していけば備わっていくものだとわかっていても、やはり少なからず凹みます。
ドイツ語を読むことと、書く回路は脳内で直結していなくてそれぞれ別の能力が必要なんじゃないか。私はまた初歩の初歩から始めなきゃいけないんじゃないかと疑いをかけた時期もありました。

しかし一ヶ月、ドイツ語を書く、ということに専念していたところ、アウトプットは失敗してなんぼだ、と思うようになってきました。
人間失敗すると恥ずかしいし、もう同じことは繰り返したくないもんでしょう。間違えるのは知らないからで、知ったなら次の機会には直された表現が使えるはず。恥ずかしいことは悪いことばっかりじゃないですよね?

そして、自分がこう表現したい、と思って書いているうちに、今までただ単に、「ドイツ語の文章だ」と思っていたテキストたちが血肉が通ったもののように見えてきました。
私が今こうして書いている文章は、「私」という個人の意見。
それと同じに、私が今まで読んできたテキストやこれから読む本などは、誰かが書いたもの。誰かが書いたのなら、それが客観的事実を端的に述べているだけだとしても、きっとどこかにその筆者の気持ちが入っている。(何を書いて、どんな事柄を書かないかという時点で事実の取捨選択が行われている。選択が行われた時点で人の意見が介入している)
気持ちが入っているのなら、きっと難解に見える文章だとしても伝えたいことがあるのでしょう。
もちろん世の中には機械翻訳や通販会社の注文受付メールのようにテキストが人の手を介さずに自動的にアウトプットされるものがあるものの、そんなに多くないですよね。
無駄な文章などひとつもない、と思えたら今まで流して読んでいた記事もなんだか魅力的に見えてくるこの不思議。上手く読み取れないのは自分の力がまだ不足しているのもあるだろうけど、書いている人が抽象的にぼかしているのかもしれない。そう考えると、書いた方の考えを想像して、より深く考えるようになります。
どこかの大きな方のコラムは、彼の気持ちがとっても入っているのが伝わってくる力強いものですが、程度の差はあれ、どのテキストも同じなのですね。

書きたいことが伝わってくる文章を、ドイツ語で書けるようになりたいです。つたなくても、伝わるものを書きたい。
道のりは長いですが、できるだけ毎日、考えて改善できるよう努力していきます。

以上、5月のドイツ語習得状況報告でした。引き続き、「耳からドイツ語」も継続中ですよ。緑白ポッドキャストの2006年版を聞き直して、大きい人の移籍情報などを新鮮な思いで、通勤電車の中で聞いていたりしてますv

※添削された例
<家の猫について書いたテキストの結び文>
Ich wuensche, dass sie so lange moeglich mit Spass belebt sind.
(うちの猫たちができる限り楽しく長く暮らしていけますように)

→ Ich wuensche, dass sie so lange moeglich mit Spass belebt sind gluecklich leben werden.

――できるだけ長く幸せに暮らせますように、に直されてます。でもこっちの方が自然な文な感じがします。うん。


2009/06/03(水) 20:45 | 【ドイツ語】 Lernen | トラックバック(-) | コメント(-)

 |  HOME  | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。